大阪の偉人、パナソニック創業者の松下幸之助の歴史館で学んできた

大阪の偉人、松下幸之助の歴史博物館(ミュージアム)

経営の神様としての異名を持つパナソニックの創業者、松下幸之助。

今回、大阪にあるパナソニックの資料館に行ってきました。

松下幸之助氏は何がすごかったのか、またどのようにして会社が大きくなったかを中心に、まとめてみました。

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最初に本格的に働き始めたのは、大阪にある五代自転車商会で自転車の販売の仕事です。

その時、若干10才。今なら、小学四年生くらいの年ですね。

約6年働くことで、接客に対する商売の心得を学びました。

モノを作る人は、こだわりを持ち過ぎてお客さんの気持ちをあまり考えない職人気質になる傾向がありますが、
販売する経験を得たことで、後々の商品開発に大きく役立ちました。

販売のセンスを感じさせるエピソードがあります。

店ではお客さんからタバコの買い出しをまく頼まれました。不便を感じた松下氏は、自分の金でタバコを買い置きすることを思いつきます。

買い置きすることで、すぐに手渡しできる、買いにいく手間が省け、20個をまとめて買うと一個おまけが出るので儲けが出ます。

妙案でしたが、同じ自転車の丁稚仲間から不満が出てやめてしまった。

中学生くらいの時に、タバコを簡単に買うことができるか環境はさておき、機転のきいたエピソードですね。

電気の時代が来ることを予想して転職

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松下幸之助は、大阪で走る路面電車をみてこれからは電気の時代が来ると確信し、大阪電燈社(現在の関西電力)に転職します。

ちょうど松下幸之助氏が生まれた頃は、電気の普及が徐々に広がった時代。

直感で、世の中のの将来性をピタリと当てます。

今と違いネットやテレビがない、まして丁稚奉公人だったのでかなり限られた情報源だったはずです。

仕事に優劣はありませんが、収益を基準にした判断として正しい判断でした。

もし私が当時見たことない電車を見たら、「あー、乗ってみたい」で間違いなく思考が終わっていたことでしょう。

現在の状況で置きかえると、AIや5Gの産業の出現と似ているかもしれませんね。

松下氏の最初の大きな仕事は扇風機の部品作り

大阪電燈社で自作の改良ソケットを認めてもらえないことや、仕事を休めば収入が減ることを理由に
松下氏は退職します。

最初は、妻の弟の井植歳男(のちの三洋電機の創業者)や友人2人と共に改良ソケットを作りますが、
ソケットが売れず資金が減ってしまいます。

そんな時、扇風機に使う部品を作って欲しいと注文が入ります。
結果的に千個を納品して、倒産のピンチを切り抜けることに成功しました。

誰でも最初は、小規模からのスタート。この注文をきっかけに、松下氏は軌道に乗り始めます。

松下氏の発明品が認められる

電気業界に足を踏み入れてから8年後、松下幸之助氏は松下電気器具製作所を設立します。

練物工場の周囲で原料のカケラを拾い集めて研究した改良ソケットや、二灯用差し込みプラグは人気商品になりました。

松下氏がただの発明家で終わらなかった要因の一つとして、販売も工夫した点が挙げられます。

それは、無償配布・実物宣伝です。

自転車用の砲弾型電池式ランプの商品を販売する時、
当時は、電池式のランプが故障が多いなどの欠点からほとんど販売されていませんでした。

いつの時代も、新しいモノは最初は中々受け入れられないもの。
そこで、無償で販売店舗に商品を置いて性能を確認してもらう作戦にでます。

結果的に宣伝は成功し、全国展開するきっかけになりました。

良いものは黙っていても売れるとあぐらをかくことなく、販売するための努力は必要なエピソードですね。

他社の真似をする戦略を用いた松下幸之助

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松下氏は発明家の一面がある一方で、他社のヒット商品を参考にする戦略を使った人物としても知られています。

松下電器を「マネした電器」と揶揄された要因です。

以下の記事にも、元パナソニックの副社長が執筆した記事にも書かれています。

松下氏が先行者に学ぶ戦略の決断

松下電器の主力製品、ラジオやテレビを国産初商品として販売したのは、SHARPです。

日本初のラジオやテレビを作ったSHARP創業者の生い立ち

真似をすることや、されることに嫌悪感を抱く人もいますが、
需要があって改善の余地があるジャンルに取り組むことは、成功した偉人に共通する行動パターンです。

法律の範囲内で真似をすることは、大きく成功することには欠かせないことだと私は思います。

松下氏は需要や製品化を見込めない商品作りでなく、確実性のある戦略にシフトします。

歴史館で知った、パナソニックが社会に影響を与えた事

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松下幸之助氏の歴史館では、松下氏やパナソニックの業績についての建物と、商品の移り変わりを展示した二つの建物があります。
親子で楽しめる場所を探すなら、ぜひ一度足を運んで欲しい場所だと思います。
子供さんが、発明に目覚めるきっかけになるかもしれません。

今回、見学して知らなかった意外な事実(たんに勉強不足なだけですが)をご紹介します。

日本で初めて週休二日制を導入

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日本で初めて週休二日を導入した会社と言われている、松下電器。

1965年(昭和40年)に、完全週休二日を取り入れます。

日本で初めてということは、この時代は週に休みが一日しかなかったんですね。

今では当たり前のことでも、当時では非常識なことを変革できる決断力が素晴らしいですね。

PHP研究所の出版社は松下幸之助が創設

「道は開く」など、本屋さんで文庫本で販売されている出版会社、PHP研究所。
実は、松下幸之助氏が立ち上げた団体と知ってびっくりしました。

「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」を願って創設されたそうです。

世界で初めてミラーレスカメラを開発

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カメラコーナーに立ち寄ると、ほぼ必ずあるミラーレスカメラ。

もともとは一眼レフカメラの中にある鏡を無くすことで、カメラの軽量や小型化、値段がリーズナブルになりました。

今では、人気ユーチューバーが使っている「GH5」の一眼レフカメラも、パナソニック製ですね。
(先ほど、真似ばかりしていると言ってしまいすみません。)

他にも、松下幸之助氏が残したエピソードや業績がたくさん展示されています。

パナソニックの製品に興味がある人にも、オススメの場所です。

参考になれば幸いです。

ではでは

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