ピンチでも信念を貫き通した偉人、出光佐三
「従業員のために働きたい職場を!」
従業員を重視していることを主張する会社はたくさんありますが、不況になるとリストラだ、追い出し部屋でやめさせる環境を作るなど、従業員をやめさせようとする会社もたくさんあります。
今回ご紹介する出光興産の創業者、出光佐三は己の信念に従って会社を運営した日本の偉人の一人です。
功績も含めて、まとめてみました。
出光佐三の主な功績
今でも街中で見かける、出光興産の会社の創業者、出光佐三。
今は昭和シェルと合併しましたね。
現在までの主な功績として
- 漁船の燃料油販売
- 満鉄用の凍結しない車軸油の開発
- 海外大手石油メーカーと戦う
- 世界で初めてイランと石油の直接取引をする
などが挙げられます。
1911年、出光佐三は、機械油を販売することから事業を開始しました。
今から100年前くらいですね。
この時は、石油の大手メーカーが強く日本のメーカーが勝てるわけないと考えられていた時代。
明治維新から50年も経っていなかったので、外国の技術の方が圧倒的に進んでいたんでしょうね。
当時は漁をするための船舶の油はガソリンや灯油が使われていましたが、出光佐三は経由を使うことを提案。
燃費の良さや値段が安いことで、評判を呼び業績を伸ばします。
また、日本が満州に領地を持っていた時代、満州鉄道用の車軸油でも高く評価されました。
日本と違い、冬はマイナス40度にも冷え込む満州の国土。
厳冬にも耐えられる油を提供することで、車軸が故障する事故を防ぐことにも貢献しました。
また戦後では、世界で初めてイランと石油の直接取引をすることができ、世界から注目を浴びます。
同じようなことをした他の国は、利権などの問題でイギリス海軍から妨害されて成功しなかったからです。
良い商品を提供して販売するだけでなく、正しいと思うことはリスクがあっても貫いて行動する行動力はすごいですよね。
では、どのような信念だったんでしょうか。
出光佐三が大事にしていた信念
出光佐三が大事にしてした信念で人柄がわかりやすい内容としては
「人間尊重」「大家族主義」「黄金の奴隷たるなかれ」
があります。
「人間尊重」は字のごとくその人を尊重すること、「黄金の奴隷たるなかれ」は儲け方は本業で稼ぐことが大事であることを説いています。
当時、第一次世界大戦では成金と呼ばれる、買い占めや投資で成功した人が大勢いたので、しっかりと本業で稼ぐのが大事と考えていました。
そして、人柄がもっとも表される「大家族主義」。
一度社員になったものは、家族同然とする考えで社員は絶対にクビにしないことを信念にしています。
これらの信念は、子供時代の父親の影響を大きく受けていると考えられます。
藍玉(染料に使う材料)を販売する父親の仕事を手伝っていた、出光佐三。
父親からは
- 一生懸命働くこと
- 質素であること
- 人のために尽くすこと
を厳しく教え込まれたようです。
実際に、その通りに働いている父親をみて育つことで成功しているので、やっぱり教育の環境は大事ですね。
「人生適当になんとかなるぜ!」と教え込まれていたら、もしかすると出光興産はなかったかもしれませんね。
信念に共感をもらい、エンジェルマネーで創業
出光佐三は、事業を始める分野を「機械油」に照準を合わせます。
ただ、いつの時代にも在庫や店を持つ商売なら、それなりの資金が必要ですよね。
開業資金に困っていたある日、知り合いから6千円の開業資金の申し入れを受けます。
当時の初任給が、35円から40円の時代。
現在の初任給を20万円で計算すると、当時の一円は5千円の価値に相当するので、役三千万円相当の資金を受けたことになります。
資金を提供した人も、出光佐三の信念や人格を認めていたんでしょうね。
今で考えると、クラウドファンディングのように、魅力ある事業に資金を提供する仕組みに近いですね。
クラウドファンディンで通りやすい案件の印象は、自分だけでなく公益性や夢が高い内容と感じたことがあります。
単純に、「事業の運転資金が欲しいだけです!」だけでは、魅力に欠けますもんね。
出光佐三の信念は、出資者の心に響き事業を開始することができました。
戦後直後でも、一切リストラしなかった出光佐三
出光佐三は、太平洋戦争まで中国でも事業を大きく展開していました。
太平洋戦争が終わり、満州の資産は没収され、またGHQによって石油が一時的に販売できなくなってしまいます。
まさに、絶体絶命です。
多くの会社は社員をリストラして減らす、あるいは倒産してしまうなどの混乱の中
社員を家族と掲げた信念、「大家族主義」を曲げずに社員をリストラせずに事業を継続しました。
本当に辛い時、人の本音や人間性って出ますよね。
こんな過酷な時にも信念を曲げず、出光佐三はラジオの修理販売業や残った油の回収作業で仕事を作り、社員の雇用を守りました。
かっこよすぎですよね笑
現代になってから、「出光興産は出勤簿が無いのはおかしい」「労働組合が無いのはブラック企業」だと指摘されたことがありますが、このエピソードを知ると社員は家族だから必要ないんだ、と主張する会社の言い分も私は理解できます。
日章丸事件で外国と戦う信念を貫く
出光佐三の功績を知る際には、石油の情勢を理解した方がわかりやすいと思います。
今も昔も、石油をはじめとして電力や石油などのエネルギーは単なる商品ではなく、国の重要な資源です。
なので、侵略が横行した世界大戦の原因の1つに、エネルギー問題があります。
経済産業省のホームページにも、このように記載されています。
太平洋戦争開戦直前の日本は、石油の9割以上を輸入に依存する状況となっていました。昭和16年(1941年)、米・英・オランダは対日石油輸出を全面禁止にし、日本はこれを契機に同年12月、太平洋戦争に踏み切ります。
では、日章丸事件とは何かを簡単に説明すると
当時、イランの領地にあった石油はイギリスが搾取しており、勝手に貿易することは禁止されていました。
そして、GHQの監視下にあった時代、タンカーを出航させて無事にイランから石油を持ち帰ってイギリスの石油会社から訴えられた事件が日章丸事件です。
この日章丸事件、ポイントをまとめると
- 当時、イランはイギリスから石油利権を搾取されていた
- イギリスは、貿易目的で来たタンカーは撃墜する声明を出していた
- 裁判で訴えられたが、出光興産は裁判に勝った
出光佐三の行動が結果的には、外国の石油利権を牛耳る関係者に一泡吹かせたこと、戦後打ちひしがれていた日本人に元気を与えました。
困難があっても、信念を貫いてなんとか打開しようとした、出光佐三。
戦後の混乱でもここまでできるのだから、制約が少ない現代人は恵まれていると思うのは、私だけでしょうか。
参考になれば幸いです。ではでは
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