遅咲き、七転び八起きでも成功した偉人や創業者の苦労とは
仕事がなかなかうまくいかない‥
失敗ばかりで、自分には能力がないんだ‥
うまくいかないと、つい落ち込んでしまいますよね。
過去に成功した偉人や創業者も、全員が最初から大成功したわけではありません。
遅咲きで成功した人、七転び八起きでたくさんのことに挑戦してうまく行った人がいます。
今回、遅咲き、七転び八起きで成功した偉人に注目してまとめてみました。
47才でチキンラーメンを発明した日清食品の創業者
NHKの朝ドラのテーマにもなった、チキンラーメンの創業者、安藤百福氏。
テレビの影響で、チキンラーメンの売り上げが伸びて売り切れになった店もあるそうです。
安藤百福氏は、もともとメリヤスなどの織物の貿易をして成功をおさめていましたが、
戦争などの混乱やトラブルに巻き込まれ、40代後半に家に閉じこもります。
そして、家庭でも手軽に食べられるために、1年間ラーメン作りの研究に取り組みます。
当時の食糧事情を改善するために挑んだ志も、とてもかっこいいですね。
安藤百福氏のすごいとして
- 過去の成功にしがみつかない
- 戦争で仕事が不安定でも情勢に合わせて対応
- 仕事を選ぶ理由が素敵すぎる
点だと思います。
ラーメンを作る前は、栄養についての研究もしていたので全くの素人ではないかもしれませんが
50才になる前に、当時誰も見向きもしない分野に、エネルキーを注ぎ込む情熱や先見性がすごいと思います。
大阪の池田市には、チキンラーメン博物館があり見学することができます。
私も一度見学しましたが、より詳しく知れるので価値のある場所だと思います。
転職を20回以上!!国産初ダンボールを発明した創業者
20代後半になるまで、日本や満州などで飲食店や建築の監督、石炭の販売など様々な職種を経験した国産初ダンボールの創業者。
ある時、創業者の井上貞治郎氏が、なまこ紙と呼ばれる素材を自ら考案した機械でダンボールを作り出すことに成功します。
そして、大手メーカーの目にとまり、規模を拡大させることに成功しました。
井上貞治郎氏のすごい所として
- 常に仕事を変えて人生が波乱万丈すぎる
- 生きるためのバイタリティがすごすぎる
- 学がなくても最後に成功する感のよさ
だと思います。
私はいろんな創業者や偉人を読むのは好きな方ですが、井上貞治郎氏は経歴が少し、いやかなり異質な存在です。
創業者というよりも、タフな人生の旅人のイメージです。
詳しく知りたい方は、レンゴーのこちらのホームページをみてください。
国産ダンボールを発明したレンゴーの創業者の井上貞治郎の名言には、「金とま」という経営哲学があります。
「きんとま」とはgold and timing、金鉄の意志・金・真・間の四つを握ったら死んでも離すなという商売の鉄則であり、タイミング、チャンス、商機を逃さず、人・モノ・金と心を大切に経営をせよと説く貞治郎翁の造語です。
生きるか死ぬかのような経験をしたからこそ、つかんだ真理かもしれませんね。
同じような人生、私は無理だと思いました笑。かっこよすぎです。
40才以降に創業して成功した”サトウのご飯”の創業者
戦後、会社を立ち上げてサトウの切り餅のヒット商品を作った新潟県出身の創業者。
40才くらいまで、漁師など食品メーカーとは無関係な仕事から、白玉粉の製造をはじめます。
そして、米の生産が盛んな新潟の特性を生かして、保存した餅の商品化を目指しました。
“さとうのご飯”の創業者の会社が大きくなった要因として
- 年間消費できる商品作りを目指したこと
- テレビコマーシャルが当たった
- 保存や味覚への飽くなき追求心
だと思います。
特に悩まされた問題として、保存する時にカビが生えてしまうことだったそうです。
解決するため、真空包装機が開発されて夏でもカビない技術開発に成功しました。
保存すること、できるだけ美味しいものづくりの追求心の賜物ですね。
すぐに商品化ができなかったこと、親会社の倒産で会社の存続危機があったにも関わらず
今も50年近くにわたりヒット商品として、サトウの切り餅が販売され続けていることがすごいですね。
遅咲きの漫画家、水木しげる
『ゲゲゲの鬼太郎』の前身漫画、『墓場鬼太郎』を発行して人気がでた水木しげる氏。
40才近くまで、アパート経営や紙芝居作家などをするが生活が安定せず、大変苦労されたそうです。
水木しげる氏のすごい所として
- 左腕がなくても楽観的に生きる感考え方
- 戦場で現地住民に気に入られる不思議な人柄
- 絵を書く情熱
だと思います。
水木氏は、太平洋戦争で9割近くの人が亡くなった部隊で生き残った強運の持ち主で
島の住民の民族と意気投合し、そのまま住み着こうか真剣に悩んだエピソードがあります。
一方で、工場勤務では仕事に馴染めず数ヶ月でクビにされてしまい、社会生活では不器用な面もありました。
戦争は決してよくないことですが、大変な経験をすることで、仕事の悩みなど軽く感じたかもしれませんね。
また、水木氏の出身の鳥取県境港市には水木しげる記念館があり、子供の頃からのエピソードがびっしり書かれています。
戦後、ミシン1つから世界トップクラスのテントメーカー
戦後の焼け野原から、今では膜構造建築物においては、世界でトップクラスのシェアを誇る太陽工業株式会社。
創業者、能村龍太郎氏は戦争で被災し、残った機械の1つミシンでリュックサックの製造事業をはじめます。
これらの情報は、大阪にある起業家ミュージアムという博物館で私は初めて知りました。
それらをまとめると
- 最初は下請けでリュックを生産したが、収益があまりよくなかった
- 下請けから脱出するために膜(テントの素材)の研究をはじめる
- 大阪万博の設営を担当し、評価を高める
個人商店で、かつミシン一台(もう一台何かあったそうですが忘れました)ほどの状態から
大阪万博、のちには東京ドームの屋根の膜を請負いました。
どう考えても、リュックサックから東京ドームの屋根の膜とは、違う分野でしょ、すごすぎる!と感動しましたが
普段の仕事をしながら、研究を重ねて相当突き詰めたんだと思います。
大器晩成型の成功者の特徴
他にも60歳を超えてからケンタッキーを創業したカーネル・サンダースなど遅咲きの起業家や偉人はたくさんいますが、
遅咲き、七転び八起きの人物を調べるうちに、いくつか共通点があることを知りました。
いくつかまとめてみました。
あきらめの悪さ、無鉄砲
言い方は悪いですが、決めたことに対して異常なくらい、あきらめが悪い点です。
特に戦前から生きている人は、七転び八起きどころか、10回以上転んでもへこたれない強靭な精神力です。
本当に、昔の日本人てすごい。
あきらめが悪い上に、失敗したらどうしようという、守りの考えもあまりないように思います。
ニーズがないことはしない
起業家ミュージアムは、関西を代表する企業が紹介されている場所ですが、そこにあるパネルを読んで思ったのは
ほぼ全員の創業者が、これから必要になること、あったら便利だな、というニーズを押さえていることです。
もちろん、今まである伝統の技術も大変素晴らしいと思いますし、過去の建築技術は世界に誇れると思います。
ただ、事業として会社を飛躍させた創業者は、まだ誰もしていないことに挑戦する、もしくはライバルが強くない業界に進出して成功していたと感じました。
仕事の価値に差はつけれませんが、会社を大きくするならニーズを押さえることは必須だなと思います。
専門外の内容にも研究熱心、好奇心が旺盛
先ほど例に挙げたテントメーカーや、サトウのご飯の創業者の例もそうですが、
飛躍したものづくりメーカーは、とにかく研究熱心です。
一般的な感覚として、研究していけそうと思ってから事業をするのが手順だと思うのですが、
仕事をしながら新しいテーマの研究をする、しかも成功するかわからないのに取り組む探究心。
あとは、織物事業では当時の西洋の機械をそのまま導入するなど、新しい技術を手に入れることに力を入れていた印象です。
資金や知識の習得の速さなどの問題で、失敗した会社もたくさんあったでしょうし、
一概に言えないかもしれませんが、飛躍するための確率は格段に上がると思います。
遅咲き、七転び八起きで成功の記事が、参考になれば幸いです。ではでは
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